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保険の勧誘。

昨日保険の勧誘受けちゃいました。

俺共済か日生かアヒルしか入る気ないので。

丁寧に入らない利用からご説明させていただきました。

基本、俺は株式会社に移行予定の会社にはあまりお世話になる気がありません。

元から株式ならいいんですけど、途中からでしょ?

何故資本増強しなきゃいけないか考えたら、危なくて入れない。

そして、正直日本の生命保険会社嫌いです。

俺は生保が資金運用する必要感じないけど、どこも運用やってるし。

もともと生命保険は相互互助から成り立っていたもの。

本業の利益は管理の組織運営に必要な分とれればよかったはずです。

現に県民共済では掛け金の4割程度バックしてました。

余計な資本のプールはしてないってことですね。

でも、今の保険会社は違う。

共済等と比較して割高な保険にもかかわらず、バックもなく。

さらには必死に勧誘までしてる。

まず、その理由から不満があるわけですわ。

日本の生命保険って、貯蓄もかねてる奴が標準ですよね?

みんなそこにはあんまり疑問を持ってない。

でも、あれなんで貯蓄かねる必要があるか、考えたことあります?

正直貯蓄かねる必要はないわけですよ。

何か保険の契約が有利になるようなこともない。

貯蓄するなら普通の金融商品買ったほうがまし。

ならあの貯蓄型の積み立て分は何かと言えば、保険会社の運用に利用されるだけです。

支払いのための備蓄は必要かも知れないけど、あんな額必要無いわけ。

死んだときに出る額が増えるような感じもありますけどね。

保険会社のリスクは貯蓄も掛け捨ても変わらない。

支払い額のリスク分掛け捨て額増やせばいいだけ。

貯蓄のほうが得する感覚があるのは幻想です。

運用益によって保障内容厚くしようって目的で運用しているようにも感じられますけど。

運用がどうなったかと言えば、バブルやらリーマンショックで資本減らしただけ。

株式市場が影響に成長し続けないことはすでに解ってるのに、未だ投資してるのが変なんですよ。

そんなことは厚生年金や国民年金見りゃはっきりしてる。

それにもかかわらず大量の資本抱えてもんもんとしちゃって投資してる。

だから日本の生保嫌いなんです。

でね。

生保の株式会社化って、なんでそんな話が出始めているかって言うと。

どこの生保も、度重なる金融危機で、相互互助会社の資本であるプール金を運用計画の失敗で減らしちゃってるんですよ。

それでやばくなったから資本増強簡単にできるように株式会社化しましょうってことでしょう。

要は、株式会社化して資本増強しないとつぶれる可能性があるとも言えそう。

裏を返せば、取り付け騒ぎがあったら今の弱い生保って簡単につぶれちゃうって状況なんですよ。

株式会社化するような生保には、貯蓄分を返せる体力無いってこと。

誰がそんな会社の保険新規に組みますかって。

まぁ、株式会社化することで今まで扱えなかった商品を扱えるようになる部分もあるでしょうけどね。

今、運用で損した分を埋めるだけ本業で利益得ようとしたら、利幅を厚くしなきゃいけない分、商品が相当魅力の無いものになる。

ただでさえアフラックや県民共済に顧客満足負けてるのにどうするんでしょう?

銀行のように、ほぼ必須でもなく、公定歩合のような横並びを正当化するための指標もなく。

返済の利息下げずに預金の利息だけ下げて利益を稼ぐようなこともしづらく。

商品の魅力だけで選ばれなきゃいけないわけでしょう?

一回失敗したものをもういちどなんとかしようとすれば、働いてる人たち相当きついはずでしょう。

それに耐えられるだけの愛社精神持った社員ばっかりとはとても思えない。

P&Gのような精神や、HPWAY、GoogleWAYのような精神を見る迄もなく。

愛社精神は、自分の仕事が意義あるものだと感じられてこそのものですが。

外交員のおばちゃん方、どこまでそんなこと考えてるでしょう?

CMからして、外交員になった理由を語るアフラックとは対照的。

まぁ、入らない理由はこんなところで。

こんなこと考えてたら、勧誘されてもそうそう入らないでしょ?

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太平洋はカヤックで渡れ?

グーグルマップでアメリカから日本へ車で移動する場合のの経路を検索したんです。

すると、ロスからハワイ、ハワイから日本それぞれの間は、カヤックで渡れとのこと。

もうね・・・w

他にないかと思って探してみたら、日本から中国はジェットスキーでいかなきゃいけないみたいです。

他には、台湾から中国は泳げっていうのもありました。

探せば色々ありそうですねこれw

車で海渡れないのはわかるんですが、車での経路探しているのにカヤックで渡れとは何事か!w

もうその段階で車ちゃいますよと!

カヤックみんな持ってないといけないんですかね?と!

まぁ、そんなグーグルの中の人たちが大好きですw

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鬱病患者はダメ人間に決まってんだろボケ!

鬱病は脳の病気って表現一般化してきましたね。

確かに、脳の病気といってもいいのかも知れません。

でも、俺は正直その傾向がいいことだとは思えません。

鬱病の分類を見ると、内因性と心因性に分けられています。

もともと罹患率は一定で、患者数の増減は人口に比例してる部類の病気です。

ここ10年で患者数が2.4倍になったそうですが、最近増えているのは心因性であると思われます。

心因性と言っても、その性質による罹患しやすさはあると思われ、増加は社会情勢により罹患しやすい人が表面化したものとも考えられます。

内因性の鬱病も、ある程度の精神的負荷がかかった後になるようです。

その点を考慮すれば、内因性と呼ばれるものも、必ずしも脳の障害と言えない面があります。

内因性の場合、精神的負荷により脳に機能障害が発生したものと言えそうですが。

発現する人は、脳に負担をかけやすい精神構造であるとは言える可能性が残ります。

そしてここが大切なのですが。

使い方によって脳も変化していきます。

こう書くと脳が見えないだけに懐疑的になる方もいるでしょうが。

頭のよい子を育てるための教育の科学的知識の広まり等をみれば、一般化したと感じられます。

そうすると、鬱病は脳の病気だとしても、自分に原因が無いと言えるわけではなく。

逆に、外部からの影響を受けにくい部位だからこそ、自身の使い方が原因とも考えられます。

脳の病気なのだから自分を変える努力をしなくてもよいとはとても言えないわけです。

考えなければならないのは、その理由が何であるかではなく。

その状況からどうすれば脱することが出来るかであり。

症状の理由が自分の納得出来るものなら放置していいとは俺には思えません。

でも鬱病の場合、薬飲んで症状押さえるだけで、根本解決望まないこと多いように感じます。

たとえば。

外反母趾はあわない靴履いていたから骨が変形して痛みが出ます。

ただ、症状の理由は「骨の異常」。

直すためには、骨を整形するとともに、あわない靴を履かないようにしなければなりません。

なぞならば、そうしなければ治療したところで、また同じように変わってしまうのですから。

外反母趾の問題は、骨が変形して痛みを生むことではなく。

外反母趾を生むライフスタイルにこそある、ということです。

ほとんどの病気に言えることだと思いますが。

改善には、適切な治療とともに、自身のライフスタイルを変えていくことが必要なんです。

タバコで肺癌になるのも、お酒で肝硬変になるのも、症状が押さえられればよいのではなく。

ライフスタイルを変えなければ、何の意味も無いですよね?

最近の障害児の増加にしても、晩婚化が強く影響している。

どうしようもないような問題はそれほど多くないはずなんです。

症状の理由がわかるのなら、改善出来ることがほとんどのはずです。

目に見えない部位というだけで変わらないものと放置する。

そして自身の人間性の否定となることから逃げる。

鬱病を脳の病気とすることには、こういう問題があると考えます。

このような問題から逃げる精神構造自体が鬱病を生む原因とも言えます。

ならば、それを変えるためには、そういう考え方をやめていく必要があるんじゃないでしょうか?

逃げず、自分自身の罪悪感と立ち向かうためにも。

鬱病を脳の病気とはして欲しくないと、強く思います。

タイトルは・・・釣り?w

あんまり気にしないようにw

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不良経験。

中学高校の頃はよく喧嘩ふっかけられてました。

入った高校は偏差値36でした。

高校時代は夜に学校やら公園やらでたむろして朝を迎えたりしましたし。

族の知り合いが何人かおりました。

その筋のお兄ちゃんとよく遊んでました。

卒業後しばらくした後。

周りの人間がdvdのパッケージになったり、薬物で警察のお世話になったり。

いい意味でも悪い意味でも常識無かったですから。

よかったのか悪かったのか。

俺は出来損ないですかね?

なんかそういうものを否定されるようなことがあって、ちょいへこみ。

言わんとするところはわかるんだけど、なんかやるせない・・・。

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素面と素の面。

俺お酒自体ほとんど飲まないんですが。

たまに飲むと、酔えないで困ります。

ええ、素面でいなきゃって自制心が強く働くので。

お酒飲んだときに素面でいようとすると大変なんですよね。

頭痛くなるし、気分悪くなるし。

無理に押さえ込むから、余計に不快な気分が増長されるようで。

そのことがあるので、極力飲まないようにしています。

でも、30入ったぐらいのときに、素面でいないでいいんだと思って飲んだことがあって。

その時は頭痛くも気持ち悪くもならないで飲んでいることが出来ました。

それから何度かで、自分もそういう感覚で飲めば楽しく飲めることが解ったわけです。

ようは、それまでのお酒の飲み方が悪かったってことですね。

いろんなものをよいと思えるかどうかって、きっとこんなお話で。

自制心でこり固まっていると、きっと何事も楽しくなく。

自制心を超えたところに至って、初めて楽しめるようになるんでしょう。

そう考えれば、何においても恥や外聞を捨てられれば、世の中楽しいんでしょうね。

でも。

一度持った恥や外聞ってものはそうそう捨てられるものでもなく。

そして、世の中には恥や外聞を痛いほど気にする人々もいる。

自制心を捨てれば楽になれると解ったところで簡単になんとか出来るものじゃない。

好きな人とではなく、どうでもいい相手との、快楽目的のセックスが一番気持ち良い。

そんな話を何人かの女性から聞きました。

まぁ、俺的解釈から言えばもっといいセックスだって存在するんじゃない?って思うわけですが。

しかしながらその人達にとってのそれは、一番気持ち良かったセックスで。

愛している人とのセックス等とはまた別のところにあるものだったとしても。

虚栄心を持たず快楽に集中出来た「よいセックス」だったわけです。

言ってしまえば、これ、ナンパ相手や出会い系の相手から得られている。

もう二度とかかわることのないような、自分の世界の外にあるものから、得られているわけですね。

これを逆に言えば、そういう相手じゃなければ自制心が外せなかった。

それ位、自制心って外せないものなわけですよね。

たとえはセックスの話だけど、これはきっとどんな話にも言えることで。

パートナーが、どんなものでも受け入れてくれるような人で。

その人なら何でも受け入れてくれると思えるなら、それが一番の快楽につながるんでしょうけど。

なかなかそんな状況は得られないってことなんでしょうね。

全ては曝け出せないけど、好きで。

だからこそ、なおのことうまくいかなくなることがある、ってのは何とも皮肉です。

お酒を飲まないことを素面って言いますね。

でもその人の素の面は、お酒を飲んで自制心が外れた後に出てくる。

セックスでも、しているときは興奮状態ですけど、それが素の面。

素面じゃ素の面がさらせない。

人間って、おかしな、そして可愛いものですね。

まぁ、お酒も飲まずにこんなことを書いていられる自分は、飲まなくても素の面が出しやすい性格なのかも知れませんし。

だからこそ人として可愛いとは思ってもらえないのかも知れませんがw

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西と東 補足1

携帯からなのと、だらだらなので、補足みたいなものとして。

どうせ心理学上の話を出しつつ行動原則語ったところで、ききゃあしない。

だったら、昭和初期迄のように強制しつつ、その中で理解してもらうしかないんだよね。

職人芸教え込まれるのと同じで、意味が解らなくてもやらせて、その中から気付かせる。

本気で教えようとしたら、そうするしかない。

日本国内においてもさ。

いろんな方が子供の人権だの、女性の権利だの、あーだこーだと叫び回って世の中動かしてみたまではいいものの。

そのおかげでみんなが自分のことを「いいもの」と思えるようにならなくなった。

西洋個人主義みたいなアイデンティティーの確立もいいけどさ。

アメリカの例を見るまでも無く、そんな社会で上層に行けるまで個性発揮できるのは3割いない。

10人いたら8人は、俗に言う「落ちこぼれ」になって、人に使われるしか無いんだよ。

たとえば俺のマイミクさんの内、19人は落ちこぼれ。

他の人を頼って生きていくしか能がないとされる側にまわる。

小さな頃から甘やかされて育てられて、自意識だけは過剰になって。

自分は上流か、悪くても中流だと思っていたら、落ちこぼれで。

そのギャップに気が付いても気が付かないふりをして、鬱病になる。

現代人の精神的迷走を別の視点から見れば、こういうものなわけだ。

そして日本は中流意識強いからなおさらギャップを認めにくい。

そりゃ鬱病も増えるさ。

西洋的文化には、自分が落ちこぼれになるかならないかのための壮絶な戦いがあり。

そうであるがゆえに、日本であれば生き急ぐかに見える程の速度で走り。

脱落者は早々と人生を見切り、日々をいかに楽に楽しく過ごすかに注力する。

すでに何世代か前からそうだから、変なギャップもない。

そういう文化が出来上がっているからこそ、権利主張出来るし、その弊害も受け入れられる。

落ちこぼれの親は、落ちこぼれの子供にかけてやる金もないし、かけようとも思わない。

落ちこぼれの人は、落ちこぼれのパートナーにかけてやる金もないし、かけようとも思わない。

だから、一度落ちたら、そうそう簡単には抜け出せない。

それも、自分だけじゃ無く、自分の子孫まで、落ちた世界が待っている。

それが階層が出来るということであり、そういう世界。

だからこそ、女性の権利や子供の人権なんてものが必要だったわけでしょう。

せめて、最低限の生活を保障するために。

正直ね。

日本みたいな国にそんなもの適用しても、弊害ばっかり目立つだけで、対していいことないと思うんだよね。

でもなんかそれらが当たり前のように語られるようになって。

ギャップ発生しまくりでしょ?

日本ってとても特殊でさ。
無宗教、(ほぼ)単一種族、島国根性、安定した風土と気候と、変な特色がある。

これらのおかげで、昔から全体主義、全体最適に特化してたから、負荷がどこか一ヶ所に偏るようなこともなく。

ある種文化が成熟してた。

日本は文化の成熟があったおかげで、ルールではなく、マナーで生活が回っていた。

そういう国だと言うことは、判例を重視する司法などからもよく解る。

いちいち言語化何ぞせず、「常識」を持って行動を抑制する。

そういう国だったわけだよ。

だからこそ、世界の名立たる国から称賛されるだけの文化と民度を持てた。

ところがだ。

西洋化によってルールの言語化が行われてみれば。

そのルールを守っていればどんなことしたってかまわないとか考える輩が出てきちゃったわけだ。

たとえばホリえもんとかひろゆきとかがそうだけどさ。

日本文化の何たるかに目を向けない方々がなんか突飛なことしたりして注目浴びるとさ。

俺のやっていることに文句があるなら法の整備を勧めればいいとか言っちゃうわけ。

それはそれで一つの解だね、とは言えるんだけどね。

でも、ここは日本で、あんたがたも日本の文化の中で生きているんだろうがと。

日本をアメリカやヨーロッパにしたいのか?と。

ひろゆきなんかはこっち育ちじゃないから、ある意味仕方がなかったんだろうけど。

それに最近はそれほどでも無さそうだし。

んま、何にせよ、そんなふうになっちゃったわけですよ。

世界のルールは、多くの場合時代にあわせて書きなおされる。

そしてどんどん細かくなっていく。

それは西洋においてはルールが常識の代わりだから。

でも、日本のルールはそういうルールとはちょっと違って。

守るべき最低限のルール、になっている。

あとは、言葉にされることのない「常識」でなんとかしろよと。

ルールを守っていればいいなんて国じゃなく、そこに明文化されないルールであるマナーがあり、それを守れとされてきた。

だから世界からマナーを称賛されるわけ。

日本は西洋化することで、世界に誇れる文化を捨てていっているんだよね。

「常識」ってのは、常に意識していることで。

それは、小さな頃から体に覚え込ませるもので。

だから、子供のころから強制しなきゃ、いけない。

そこにある意味を何度も伝え。

その中で生きることで、その意味をとらえられるようにと願い。

じゃなきゃ、教えられるはずがない。

子供女に甘すぎるんだよ。
今の日本は。

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