とある結論への道。その5(終)

結局。
考えられるようになることは、自分の世界の外にある相手の世界へ近づいていくことであり。
受け入れることは、自分の世界の中にある相手の世界を見つけることであり。
そのどちらもが、自分が一人じゃないんだと、気づくために必要なことなんだよね。
そして、それらが出来るようになれば。
考えようとすることで、受け入れられるようになり。
受け入れようとすることで、考えられるようになり。
どちらがどちらということもなく、それぞれが、自分を成長させる糧になって。
自分自身を強くしていくことが、自分で出来るようになっていくわけで。
それがきっと、自分を成長させていくって事で。
きっと、誰の中にだって、自分自身がこうなりたいって思える人の一面は、存在していてさ。
それを、受け入れようとしたり、考えたりすることで、自分の中にもそういう目指している人と同じ一面があるんだと見つけて。
そして、そのうちに、自分が目指していた人ではなく、自分自身を自分のよりどころとすることができるようになって。
自分が辛くなったときや、自分が弱くなったときに、自分自身を頼ることが出来るようになる。
それこそが、一人で生きていけるようになる、って事なんじゃないかと思う。
自分さがし、やら、自己実現、やら。
「何が出来なきゃいけない」なんて考えて、いろいろなことを出来るようになってみても。
じゃあ、それが自分にとって必要なことだったのかどうかを後になって振り返ってみれば、必要じゃないことが多い。
自分でお金を稼げるようになることにしても、自分で何かをできる様になったとしても。
それが、一体何をもたらしてくれるのかを考えてみると。
ただ単にお金を稼げたり、作業が出来たりするだけのことでさ。
ほんの少し、自分ががんばるための「助け」や「手段」にはなるかも知れないけれど。
その程度のものでしかなくて。
それだけじゃ、一人でなんか、生きていけないし。
そう考えれば、「自己実現」やら「自分探し」に、何の意味があるだろう?
いいところ、恋愛市場の中で自分の市場価値を高める事、言い換えれば「愛を受ける対象とされたときの付加価値の取得」程度に過ぎない。
いくら自分の市場価値を上げて、愛されてみたところで。
それだけじゃ、相手が、相手自身の中に自分のことを見つけてくれ、孤独じゃないことを知ってくれるだけで。
自分自身は、いつまでたっても、相手を自分の中に見つけることも出来ず、相手と一緒になれたなんて思えない。
誰かに認めてもらいたいと思ってがんばったにもかかわらず。
辛くなったときや悲しくなったときには、「やっぱり私は一人なんだ」としか、思えないままだ。
辛いときやら、耐えられないときには。
立ち向かっていける自分や、もっとがんばれる自分が自分の中にいて。
そんな「自分たち」が立ち向かっていったり、がんばったりしてくれるからこそ。
自分の手で、悲しい状況を払いのけていけるわけでしょう?
心の中に、自分しかいないのは、寂しい。
たとえ、誰かが実際にそばにいてくれたとて。
その人は自分の中にいてくれるわけじゃない。
でも、だったら、自分の中に、その人を見つけられればいいだけのこと。
だから今は、いろんなものを見ていろんなことを知り。
いろんな人を受け入れられるようになるために。
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