「恥ずかしくない生き方」

「恥ずかしくない生き方をしなさい」

そう言われて育つ人って、少なくなったんだろうか?

「恥をさらしながら生きたくなどない」

思うに、そんな風に思いながら生きている人は少ないと感じてる。

多くの人は恥をさらしながら生きている。
ただ、それを「恥ずかしい事」だとは思っていないだけだ。
それは「恥」をさらすことに何も感じないから。

人間失格、読んだ人は多いはずだ。
でも、あれを読んだ人にしても。
「自分の中の罪悪感」と向き合おうとする人は、さしていない。

俺は、極力恥をさらさないように生きていくべきじゃないのかと思う。
もちろん、「恥をさらしてしまう」ことがしようがないときだってある。
でも、それがしようがないことなら、誰もその恥を責めないだろう。

誰だって、初めは無知で、何が「恥」なのかさえ知らないけれど。
知らないのならば、仕方がない事。
でも、「恥」を知ってなお、その「恥」を認められないことは、単なる「恥知らず」でしかない。

「優しい子になりなさい」

そう言われて「優しい子」になってみれば。
「どうでもいい人」を作れず。
いろんな事に自分の責任を、辛さを感じてしまう。
他の人なら何でもないことで自分を責めたりする。

そんなことが解っていたら。
「優しい子になりなさい」なんて言わない。
そう思う人は、多いんじゃないか?

それでも、自分の子供に「優しい子になりなさい」と言えるか?
たとえ辛いことが多くても。
それでもなお「優しい子」でいて欲しいか?

「恥ずかしくない生き方」をしていないなら。
死んだように命を保ってるに過ぎない。
そこには「火」など無いに等しい。

「火垂るの墓」を見て悲しむ人は多いが。
「火」を持っていない人は「火垂る」なんかじゃ、無いんだよ。

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