言葉の裏に。

最近、怒るときには、狙って怒る事が多かった。

自制心は、自分の行動で誰かが悲しい想いをしたり、失敗をして怒られたりすることで、自分に不利益がくることを学ばなきゃ、育たない。

だから、狙って怒る事が多かった。

狙って怒るためには、怒る側と怒られる側との間に信頼関係がなきゃいけない。

怒り方を間違えれば信頼関係も壊れてしまいかねないのは確かだけれど。

その信頼関係の中で怒られるかぎりは、怒られる事を喜びさえする。

でも今回、俺はその限度を見誤ったんだよね。

そこを、失敗しちゃった。

信頼関係を壊しかねないところまで怒ってしまった。

そんな風に怒られたときに人がしようとする事は、自分が大切にされない存在でしかないことを、自分自身に証明しようとする事。

今回も、ものの見事にそういう行動に出られてしまった。

自分が無価値なものだということを、証明しようとされました。

一度失敗したって、何度でも・・・、っていうのは、当人達にその意志があってこそのもの。

その意志がなければ、そこで終わっちゃう。

まるで、人が死ぬのと同じように。

そして、自ら干渉しようとしていったのだから、そのままにしてしまったら、俺が殺したも同然だ。

正直、無価値なものだと証明しようとする行為を行われた後、それをなんとかしようとするなんて、それほどばかげたこともない。

自分が無価値である証明をしようとしたことのある人なら解るだろう、「そういう」状態だから。

まともな人なら、きっと以後かかわらないように無視するでしょう。

それも今回、ものの見事に無価値の証明を手助けする事に最適な「自分の欲に負ける人」が当人のそばにいてしまって。

ものの見事に、無価値の証明をしたわけですわ。

普通なら何日もかけてすることを、たった一晩で。

でも。

それでも、俺としては自分が行ってきた事の意味を、なんとか保たせようと、しちゃうわけですよ。

無価値なんかであるはずが無い。

君には十分にここにいる価値があるんだって、ね。

誰かに対して、罪悪感を持たせない、言い換えれば、悪いことなんかしない自分でいさせるには、強い気持ちが必要で。

その人の未来を考える必要があって。

そして大切なのが、その人が生活している場所にいるみんなが、幸せである方法をとらねばいけない。

周りの人間が不幸な場所で、一人ででも幸せになれると考えるのは、欲に負ける人間か、それともなければ、変人なだけだ。

そのためには、時に、怒る必要があり。

そうやって怒ることを、普通は「叱る」って言うんだと思うんだけど。

怒られているとしかとらえられてないとしたら。

難しいね。

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言葉の裏に。 への2件のフィードバック

  1. 多々良 より:

    女の子は理屈では動きません。
    エネルギーが足りなくて立てなくなります。
     
    雄猫さんの中で子供を育てているような気持ちが強いのかもしれないですが、
    相手はパートナーです。
    相手に考えさせて喋らせるのではなく、自分が辛く感じていることを聞いてもらってはどうでしょうか。

  2. tomcat より:

    >たたらさん
    アドバイスありがとう。
     
    いろいろと考えてみて、そうさせてもらってます。
    確かに、そのほうが自分から考えてくれるようになることがよくあるんだもんね。
     
    本当は、言葉や理屈の裏にある、人の感情の動きなんかを理解してほしいところなんだけど。

    男性の方が、言葉の裏から気持ちを読み取るのが上手なのかもしれないしね。そこは、男女の想像力の違いなのかなーなんていう風にも思ったよ。
     

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