素面と素の面。

俺お酒自体ほとんど飲まないんですが。

たまに飲むと、酔えないで困ります。

ええ、素面でいなきゃって自制心が強く働くので。

お酒飲んだときに素面でいようとすると大変なんですよね。

頭痛くなるし、気分悪くなるし。

無理に押さえ込むから、余計に不快な気分が増長されるようで。

そのことがあるので、極力飲まないようにしています。

でも、30入ったぐらいのときに、素面でいないでいいんだと思って飲んだことがあって。

その時は頭痛くも気持ち悪くもならないで飲んでいることが出来ました。

それから何度かで、自分もそういう感覚で飲めば楽しく飲めることが解ったわけです。

ようは、それまでのお酒の飲み方が悪かったってことですね。

いろんなものをよいと思えるかどうかって、きっとこんなお話で。

自制心でこり固まっていると、きっと何事も楽しくなく。

自制心を超えたところに至って、初めて楽しめるようになるんでしょう。

そう考えれば、何においても恥や外聞を捨てられれば、世の中楽しいんでしょうね。

でも。

一度持った恥や外聞ってものはそうそう捨てられるものでもなく。

そして、世の中には恥や外聞を痛いほど気にする人々もいる。

自制心を捨てれば楽になれると解ったところで簡単になんとか出来るものじゃない。

好きな人とではなく、どうでもいい相手との、快楽目的のセックスが一番気持ち良い。

そんな話を何人かの女性から聞きました。

まぁ、俺的解釈から言えばもっといいセックスだって存在するんじゃない?って思うわけですが。

しかしながらその人達にとってのそれは、一番気持ち良かったセックスで。

愛している人とのセックス等とはまた別のところにあるものだったとしても。

虚栄心を持たず快楽に集中出来た「よいセックス」だったわけです。

言ってしまえば、これ、ナンパ相手や出会い系の相手から得られている。

もう二度とかかわることのないような、自分の世界の外にあるものから、得られているわけですね。

これを逆に言えば、そういう相手じゃなければ自制心が外せなかった。

それ位、自制心って外せないものなわけですよね。

たとえはセックスの話だけど、これはきっとどんな話にも言えることで。

パートナーが、どんなものでも受け入れてくれるような人で。

その人なら何でも受け入れてくれると思えるなら、それが一番の快楽につながるんでしょうけど。

なかなかそんな状況は得られないってことなんでしょうね。

全ては曝け出せないけど、好きで。

だからこそ、なおのことうまくいかなくなることがある、ってのは何とも皮肉です。

お酒を飲まないことを素面って言いますね。

でもその人の素の面は、お酒を飲んで自制心が外れた後に出てくる。

セックスでも、しているときは興奮状態ですけど、それが素の面。

素面じゃ素の面がさらせない。

人間って、おかしな、そして可愛いものですね。

まぁ、お酒も飲まずにこんなことを書いていられる自分は、飲まなくても素の面が出しやすい性格なのかも知れませんし。

だからこそ人として可愛いとは思ってもらえないのかも知れませんがw

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