「道」と書いて「タオ」と読む?

泊りがけの金曜深夜、職場の人と「道」の話をした。その「道」ってのは、より崇高な「人」へ到る「道」のこと。
その道が、どんなものなのか、なんてことを小一時間。

いくつかの話をして、似たような考え方をしていることは知っていたけれど。
より、いろんな事を話して、好みは違えど、やっぱり理解しているものは似ていて。
同じような道をたどる人が居る事が、そばにいる事が嬉しい。

で、その話の中で聞いたことなんだけど。
その人は、「道」を探していて、その道が見えなくて苦しいのだそうだ。
その苦しみから解放されたくて道を見つけたいのだとか。
そんなことを聞いて、「あぁ、そうなんだ」と。

「自分が苦しい」のは、やっぱり「自分」という殻に閉じこもってしまっていることの表れであり。
「無」に帰す、要は「何も無し」に到るには自分は必要ないのに、どうしてもそこから逃れられないからであって。
「苦しい自分」を外から眺めなきゃいけないんだけどね。

仕事はがっちり出来る人で、その点とても尊敬してるんだけど。
まぁ、仕事が出来るからといって、到る道の進みも速いというわけでもないという事で。
この人でも、そうそうこえられない壁なのか・・・と、壁の高さに改めて驚いてみたりする。

10いくばの頃からずっと同じような事を考えてきて、ある意味たどってきた道ではあり。
でも、その答えを伝えようと思っても、概念的過ぎて説明しづらく。
時間があれば、もっと話せたかも知れないけれど、ちと中途半端で。

やっぱり、道は、自分で歩かないと、見えないものかも知れないとも思うんだよね。
だから、伝えようとしてもしょうがないかも知れないとも思う。
でも、伝わるかも知れないと思うと・・・。

難しいなぁ。

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